8月30日、奇襲

6時起床。今日も妻を起こして送迎してもらう。いってきますと手を振ったが妻は気だるそうに手をあげるだけだった。

 

送迎感謝といつもありがとうのLINE。

今日の妻の予定は義母とドレスの試着だ。ドレスの話、また聞かせてね、といっても反応がない。戦果は期待できなさそうだ。

 

10時ごろ、妻国からの奇襲。

駅まで車で行ったそうだが、何故か鍵を掛けずにパーキングに停めたらしい。車の中の見えないところに鍵を置いてある。自分は帰り送ってもらうから乗って帰って欲しい、とのこと。

乗って帰るのはよいが、車を鍵を掛けずに放置するのはさすがに危険!ちょっと待てとなりかけてふと思った。そういえば昨日も同じようなことがあったなと。

朝、メガネをかけずに運転しようとしていた。

 

もしや、危険なことの判断さえつかないほど正常な思考が不可能になっているのでは?

 

妊娠悪阻を疑って調べてみたが、脱水や体重の急激な変化はないのでひとまず大丈夫か。

精神的にかなり疲弊しているのだろう。判断能力を失くすほどであるなら、これまでの発言にも説明がつく。モノだからまだいいが、これが自傷に向かいでもしたら一大事である。

 

そういう認識で様子を見たほうがよさそうだ。

とりあえず、了解と返事。車も心配だしなるべく早く帰ることにしよう。

 

帰りに神社に寄って、妻のつわりが早く治るように祈願。お守りも買って妻の鍵にでもこっそりつけておこう。安産より、とりあえず健康がいいかな。

 

帰路に着いたところで妻から連絡。

今日は実家に泊まるとのこと。

 

はいはい。全然いいですよ。

8月29日、戦況報告

朝6時起床。

家は最寄り駅まで徒歩20分強かかる。結婚前は、妻が車で送ってくれる、といっていた。それを頼りに私が妻の家に越した。が、妻は寝起きが非常に悪い。妊娠前でも目つきが悪かったが、妊娠後はそれに加えて吐き気が加わった。起こすのが忍びなく、私が起こしたせいで吐き気が始まるのが私にとってもストレスに感じて、今日まで、自分で起きてくれる日はお願いし、起きなければ諦めていたのだが、そうしているうちに、全く起きなくなった。

が、今日は起こすことにした。送ってくれる?と聞くと、うん、と答える。準備をするのを眺めていると、メガネをかけずに出ようとする。見つからないから、なくていい、とのこと。危険である。探すとベッド脇の床に放置していたので、渡す。不機嫌そうに礼をいわれる。耐える。

 

仕事場につく。妻に送迎感謝のLINEを送る。ほか、結婚してくれたこと、妊娠してくれたこと、育ててくれていることの感謝を伝える。もちろん本心。誠実さが、この戦いの武器である。

 

するとしばらくして返信。生活が変わってしまったことへの申し訳なさとしばらく許してほしいという本音が。

さっそく戦果か。この武器は効く!

と同時に、ひとつの仮説。

 

妻は喋るよりもLINEのほうが楽なのでは?

話すとどうしても不機嫌な話し方になってしまうし、吐き気も助長される。対してLINEは考えて話せるし、指を動かすだけでいい。その分素直になれるのでは。

 

仮説が立てば、次は検証。

これから毎日、LINEで大げさなほどの感謝を伝えてみることにする。

 

妻とほぼ同時に帰宅。仕事どうだった?と聞くと、ふつう、と仏頂面。帰りのバスの中では買い物に行きたいと言っていたが、ナビに入力していたのは外食店。いつのまにか外食に変わっていたようだ。妻の行きたいところに黙ってついていく。

 

外食先で妻国からの攻撃。

つわり以降、最初に変わったと思ったのが、仕事の話だった。大変だったね、おつかれさま。から、楽しそうでいいね。といわれるようになった。こんなことがあって大変だった、という話をしても、そんな仕事があって楽しそうだね、という返され方で、これがボディブローのようにじわじわと効いてくる。

故に仕事の話はしないようにしていたのだが、向こうから聞いてきたらどうしようもない。

 

妻 仕事どうだった?

私 こんなことがあったよ

妻 楽しそうでいいね

 

恐ろしい戦略爆撃である。退路を断った上で、工廠を効果的に爆撃してくる。

 

今日も爆撃警報を鳴らす間も無く空襲に遭ったが、こちらはあえてその爆撃を受けながら、別の話にすり替えて対話を続けてみた。そうするとどうだろう。対話が継続したのだ。

妻と久々に、5分以上会話した気がする。

戦果微小を大勝利に書き換えて号外を出す太平洋戦争下の日本軍のような自分を哀れに思いながら、帰路につく。

 

帰ると妻はリビングで黙り込んでテレビとダラダラモード。大丈夫か聞くと、大丈夫、とのことなので、風呂に入り就寝。

 

本日の戦果

会話5分

8月28日、会敵

以下戦術である。

 

最も重要なのは、私の精神状態である。妻の一挙手一投足に疑心暗鬼である。

よって、まず、妻を分析しない。この発言はどういう意味とか、今なにを思っているとか。

これは正常な精神状態だと簡単なのだが、今私は疑心暗鬼である。意識しなければならない。

 

家事全般について、原則自分が関わることのみ全てやる。妻の分もついででやれるときは、する。また、妻がやろうとしていることを止めない。好きにさせる。妻の要求には原則答える。但しできないことは無理してやろうとしない。

妻の散らかしたゴミや服は、妻の要求がない限りやらない。自分は散らかさない。

自分の時間を最大限取る。時間を妻に合わせない。妻にやってもらわないといけないことは、不機嫌な返答を恐れずやってもらう。

 

課題はいくつかある。

まず、妻の態度にはどうしてもイラついてしまう。堪り兼ねているものがあるので、些細なことでも気になる状態。また最近は妻が明らかに悪くても頑なに謝らないので、それを許容するのが、難しい。耐えるしかない。

また、お金でもめたこと。これはそのままにしていてはいずれ必ずまたお金でもめるので、解決したい。しかし、今は棚上げにするしかない。

 

この戦術でこの日、会敵。

 

今日は奇しくも、産婦人科の定期検診。私は休みをとっていて、一緒に行くことになっている。

 

私は予約時間の2時間前に自然起床。洗濯機を回し、朝食を買いにコンビニへ。おにぎりを2つ購入。ひとつ食べ、ひとつは妻に。

妻は予約時間の30分前に起床。準備を整えている。おにぎりは食べられない、とのこと。自分で食べよう。いつもはそこらに散らばったカギや財布を探して渡していたのだが、準備ができるまで本を読む。準備が出来た妻、行くけど?と一言。耐える。

 

産婦人科到着。妻を下ろし車を駐車場へ。病院に入ると妻がいない。ひとりで診察に行ったか。中はごった返していた為、外で待つしかない。しばらく待って中に入ると妻が何食わぬ顔で座っていた。採尿だったらしい。私がいてもいなくても、どっちでもいいというような顔に感じる。が、分析は禁止である。

外で待っていると、診察に呼ばれたことを伝えてくれる。良かった。それだけで、安心する。

 

診察後、パンを買いたい、という。何か欲しいパンがあるか、と聞かれる。私を待たせて1人でいくつもりらしい。私は運転手じゃない、とまた黒い感情が。一緒に行って見ないとなにがあるか分からない、と言ったが、思い直し、同じものを買ってきて、と1人で行かせた。

 

帰ってパンを食べる。が、その前に回した洗濯物をカゴに回収。先に洗濯をしてしまいたかったが、食べてから一緒にやろうというので、従う。触れられるのが嫌な時がある、とのことなので、意識して少し離れて座る。するとこっちに座れ、と隣の座椅子の荷物(妻が置きっ放し)を避けてくれた。

 

その後少し眠気。いつもなら、せっかくの両者休みなので、できるだけ一緒に、と起きているのだが、今日は妻をそのままにし、昼寝。一度起きると妻も寝ていた。

 

その後、妻がなにやら準備。そういえば、今日は友人と食事だといっていた。駅まで送る。23時までに帰るとのこと。引越しの最終整理がまだだったので、妻のいない間に全て終わらせる。妻から帰宅時間のLINE。23時を大幅に過ぎている。悪びれもなし。明日6時起きなのだが、とまた鬼が顔を覗かせる。寝るからタクシーで帰れ、と言おうか迷ったが、心配なので迎えに行く。帰宅中、担々麺を食べた、とのこと。食べるのが好きな妻が、好きなものを食べれたことは、とても嬉しい。が、恐らく吐くだろう。

 

帰って妻はリビングでダラダラモード。いつもは付き合うが、即寝床へ。今日からベッドで寝ずに、横に布団を敷いて寝ることに。

これは純粋に妻への配慮である。触れられるのがきついのに、横におられてはたまらないだろう。1度黙ってリビングで寝たら、すねていると勘違いされ、機嫌を悪くされたので、このような手段をとった。

 

寝付こうとすると、妻の嘔吐の音。やはり。

お茶を用意して、大丈夫?と一言。それからあまり深入りせずに、もう1度就寝。

 

このように文字にすると、いかに私に余裕がなくなっているか、冷静に振り返ることができる。この調子で明日も戦果を残したい。

開戦前夜

晴れて結婚した私たちだが、課題は山積みであった。

 

まず妻のつわりが日に日にきつくなっていく。私もネットで情報を収集していたが、想像をはるかに超えるつらさだった。個人差があるとのことだが、どうやら最悪の部類らしい。

婚姻届を出した夜、妻を抱きしめると手を払われた。これまでそんなことはただの1度もなかった。ショックだった。翌日そのことを伝えると、どうしてもできないと思ってしまう、と。生理的にそんなことがある、と調べをつけていたから、納得できた。今はできるから、しようといわれたので、した。少し様子がおかしかった気がしていた。

 

ところが、日に日に妻の体調と機嫌が悪くなっていく。しんどいのか、と聞いても大丈夫、体調で機嫌が悪くなるのか、と聞いても大丈夫。強がり以外の何者でもないのだが、今まで見たこともないぞんざいな態度になることもあった。甘えてくることもなくなった。会話も減った。情けないようだが、あまりの豹変ぶりに、こちらの機嫌も悪くなった。話し合いをするも改善の傾向なし。ある日、婚姻届を出した翌日にしたのは、私に気を遣っていた、と言い出した。イヤイヤされたことがとてもショックだった。今後の性生活について、話し合った。イヤイヤされることは本意じゃない、耐えてくれと言われれば耐える、と。妻は冗談っぽく、しばらくひとりでして!と頼んでくれた。それから、妻を求めることを封印した。

 

妊娠してからというもの、炊事、洗濯、片付け、家事全般私が率先して行った。妻がそこらにほっておくゴミも捨てた。脱ぎ散らかしたままの服もしまった。2人でしよう、といったこと、全て私がやった。とにかく、動けないらしい。ずっとテレビとスマホ、そして睡眠。それに文句はなかった。体調が悪いんだろう。ただ、話しかけても反応が雑なことには不満だった。どういえばよいか表現が難しいが、よくてうわのそら、悪くて無視だった。今後のことを一緒に相談することもなくなった。いつのまにか妻が決めている。里帰り出産も、出産後の実家期間も、妻と義母で決めたようだった。

 

その調子なのでケンカすることも増えた。妻の調子が、私の想像よりもはるかに悪いことは、頭では理解できる。しかし、感情がついていかない。思い描いていた新婚生活、子どもの話で盛り上がる夫婦、私の子供じみた理想の生活が、努力とは裏腹にもろくも崩れてさっていく現実に、対応しきれずにきた。なんとか話し合って解決しようとやっきになったが、自分を必要とされていないのかと何度話をしても、妻は、私はよくやってくれている、理解しようとしていることもわかっている、それなのになぜ、そんなに自信がないのか分からない。態度が雑になってるつもりはない。と。せめて、つわりのせいだから全て受け止めて一緒に我慢してくれ、と言って欲しかった。しかし、あなたは変わらなくてもいい、と。

 

それから、もっと妻の助けになれば、もっと妻の支えになれば、とやっきになった。妻はもう、体調のこと以外どうでもよい、ともらすようになった。しかし結婚式はやりたい様子だったので、結婚式の予定を再考しなければならない。子どもが生まれてから、という提案も出したが、希望は、妻、義母共に、つわりが落ち着いた頃、だった。沖縄でリゾート婚は、近隣で普通の結婚式に変更になったが、予定が早まった為、お金が足りない。結婚祝い金に手をつけざるを得ない。私はあまり乗り気ではなかった。何故なら、結婚祝い金の額に差があったからだ。私の妹が最近結婚した為、両親にそれほど貯金がないことを知っていた。また、私も結婚する気がないことを両親に伝えていたので、用意する時間もないことも分かっていた。妻の側は、義母がしっかりした人で、義祖父と一緒に一人娘の為にずっと貯蓄していたようであった。妊娠前、妻はこっそり、額を聞いて、私に◯◯円と伝えてくれた。その額に驚いたと同時に、申し訳ないと伝えた。うちはかなり少ない、と。その上で、それに手をつけるのは、結婚式のあとにしようと。しかし妻は笑って、額の違いは気にしないといってくれた。また、結婚式に使おうが、そのあと使おうが一緒だと、頑なに主張していた。私はそれでもところが式が早まり、手をつけざるを得なくなった。申し訳なさを抱えながら、妻の結婚式を挙げる、その一心で大体の予算に組み込ませてもらった。

 

予算は大体固まったが、妻は式場見学にはいけない。ならば、と、私が1人で式場を回った。妻には、私が式場を回って、色んなプランを提案する。好きなプランを選んでくれ、と。妻はありがとう、お願いしますといってくれた。

最後に、格安で、ほぼ希望に沿うプランを見つけ出した。自信たっぷりでそのプランを見せた。最終確認。

これでいいか?

これでいい。

式が決まった。

 

ところがその矢先、最初の打ち合わせの日、夜のことだった。事件が起きた。

 

式のお金の話をしたい、と妻。応じる私。

結婚祝い金のことを母親にいわれた、とのことだった。内容は、私の家の額に合わせざるを得ない、とのことだった。となると、私のもらった額を伝えざるを得ない。

ところで、私の家の結婚祝い金は、私に対して個人的に渡してくれるもので、両親にも額の負い目があるから、渡すことも、額のことも、両親はあまり知られたくないといっていた。私もそれを尊重しながら、ただ結婚式に使うことにしたから、どうしても妻には額が知れるので、秘密にしておいてほしい、と妻に頼んでいた。しかし妻は、そのことについて、

 

額を知らされないのは信用されていない。歓迎されていない証だ。

 

と感じたらしい。なにをいっているのか分からなかった。何故そう思うのか聞いても、価値観の違いだといわれるだけ。

前に進まないが、とにかく額を知らせなければ祝い金が決まらないの一点張りなので、親に連絡して、申し訳ないが伝えても良いか、と了解をとった。その上で、額を伝えるには伝えるが、本当は伝えたくないという気持ちも分かってやってくれ、とお願いした。ところが妻はこう言った。

 

なぜ自分の親のことしか考えないのか

こちらの親の気持ちも分かってほしい

 

と。なぜそんなことをいわれなければならないのか。こちらは譲歩しているのに。。。

そして次の言葉で、私の糸が切れた。

 

大体、結婚式のお金、私の家の祝い金をアテにしていたの?

 

話し合ったはずだった。申し訳なさを抱えて、予算を組んだ。せめて、1人で式場を回った。全てを投げ出したくなった。

 

契約も、勝手にしたわけではない。妻の了解をとった。一緒に決めたよね、と伝えても、

 

そっちにお金の算段があると思ってた

 

と。

 

なんとか解決しようと、話せば話すほど、妻の物言いは乱暴になっていく。売り言葉に買い言葉、私の妻のしんどさへの理解を、堪り兼ねたフラストレーションが軽々と超えていくのが分かった。

なんのために、だれのために、頑張ってきたのか。そこから、今まで溜め込んできた全てが溢れ出した。その態度はなんだ。なぜそんなことばかりいわれないといけない。どこが不満なんだ。こっちはすれ違いをなくそうと話をしているのに!

 

自分のことしか考えてない、と言われ、こんなに家事をしているのに自分のことしか考えてないと思う?と答えると、じゃあやらなくていい、といわれる。水掛け論状態。

 

挙げ句の果てにそもそもすれ違っていると思っていない、と妻。どうすればよいのか分からなくなった。私の乱暴な物言いに、乱暴な態度で答えたあと、最後の一言を発した。

 

(全部吐き出して)すっきりしました?

 

妻は、この状態を、私のひとりずもうだと思っている。そこで私は、やっと悟った。

このつわりは、夫婦間の細かなすれ違いになど目を向ける余裕さえなくなるほど、妻を苦しめているのだと。

 

私はおろかにも、夫婦で交わす言葉は、つわりのつらさなど越えることができると、盲信していたのだ。

そして戦い方を間違えた。

ただ、耐えるしかなかったのだ。自分を捨てて。

 

新婚生活、夫婦の語らい、あたたかい妻の言葉、そういった全ての、私の中にある〝It should be″を、片端から捨てていく。

 

これはそういう戦いなのだ。

前史〜妻国との同盟締結(結婚)まで〜

入籍の日取りは半年後、式の日取りは1年後、両家顔合わせの段取りも進んでいった。二人とも、入籍が待ち遠しかった。

 

一生することはない、と思っていたプロポーズもできた。もちろん妻の返事はOK。とても喜んでくれた。

 

幸せの絶頂だった。ささいな違和感などどうでもよかった。

 

ささいな違和感、とはなにか。それは妻と義母の関係だった。なにやら、頻繁にLINEや電話をしているようだった。妻は母子家庭で、母親とはいわゆる友達親子だった。私と出会う前は、毎週末実家に帰って、二人で遊びに行き、なんでも言い合う仲で、義母のデートにも、ついていくらしい。当然私のこともつつぬけで、私が妻の乳がでかいおもってることまで義母にバレているし、セックスの相性がよいという話までしているらしい。非常に気恥ずかしいが仲が良いのはいいことだ、と思っていた。

 

ところがちょっとした事件が起きた。婚前旅行を計画していたのだが、出発日と台風が重なった日があった。その日は両者共に仕事であった為、仕事終わりに、決行か中止か話し合おうということになった。しかし、それを待たずに、義母から妻に絶対に行くなとLINEが入った。

義母から言われれば、議論の余地はない。しかし、2人で話し合うべきことを義母に先に決められた、というわだかまりが私の中にはあった。思えばこれが苦難のはじまりだった。

 

義母と何回か会い、私の実家にも招待し、先立つ貯金の問題はちくりと言われながらも、お互いに安定した職業で、結婚の許しはすぐに出た。

 

ところで妻はかねてから夢があるといっていた。それは母親になること。はやく子どもが欲しい、今すぐでもいいとのことだった。私も妻がそういうなら大歓迎だった。婚約も済んだし、半年後には入籍という安心感もあった。いよいよやりまくった。そんな折に妊娠が発覚した。

 

子どもができる。想像したこともなかった。愛する妻が子どもを身ごもってくれた。LINEが入ったとき、嬉しすぎてどう反応してよいか分からなかった覚えがある。今でもどう返したか、覚えていない。その日は仕事だった為、帰ってからこれからのことを話そう、どう親に報告するか、考えないとね、とお互いに電話で了解しあった。週末で次の日から連休だったが、式場見学の予定も入っていた為、その話も考えないといけないな、と思っていた。なによりこれからの話ができることが嬉しかった。

 

ところが仕事が終わりに近づいた頃、LINEが入った。やっぱり実家に帰ってよいか、とのこと。不安もあったんだろう。帰ってよいか、と聞いている電話口から、電車の発着音が聞こえてきた。既に駅にいた。了解するしかなかった。

 

内心悔しさでいっぱいであった。初めて子どもが出来たその日に、今後のことを話す相手が私ではない。しかも、先に報告されてしまったからには、私も妻の実家に出向かざるを得ない。仕事終わりに、妻の実家に行き、順番が前後したことの謝罪と、責任は必ずとるということを伝えた。

 

この時、内心妻は私と帰ってくれると期待していた。しかし義母曰く、娘は連休中こっちにゆっくりさせるとのこと。妻もそのつもりだった。2人でこれからのことを話そう、2人で報告しよう。それが霧散していった。傷心で帰る私をやけににこやかに見送る妻が恨めしかった。実家が安らぐのなら仕方ない、自分に言い聞かせるが、1人取り残された無力感と孤独感に押し潰されそうだった。様子のおかしい私に気づいて、妻が電話をかけてきた。押し込めていた感情が爆発した。なぜ先に実家に帰ったのか。今の私は無力感でいっぱいだと。

 

妻の言い分はこうだった。

妊娠で混乱したのもそうだが、仕事の悩みが募っていて辛かった。同じ仕事をしている母親に話を聞いてもらいたかった。それと、私と出会ってから、今まで母親と遊んでいた時間が全て私に向いて、そろそろ1度会っておかなければと思った。でも、妊娠の話を私としていないことには負い目があるから、明日迎えにきて欲しいと。

 

了解して後日迎えにいき、道中気持ちを吐き出した。妻も謝ってくれた。

家に帰ると、義母から妻にLINEが入った。実家に帰っておきながら、やっぱり私の元に帰るというのはなにごとか、と。聞けば連休中のディナーの予約をしていたらしい。勝手にしなさい、といわれた妻が泣き出した。実家も私も大事にしたい。でもどうすればいいのか、と。

 

泣きだす妻に、かねてから思っていたことを伝えた。親離れ、子離れができていないのでは。1度、私の親に相談してみればどうかと提案した。あなたの、もうひとりのお母さんになるんだから、と。私の母親は、もっと私を頼りなさいと妻に伝えてくれた。妻も納得したように見えたが、ディナーを予約してもらった手前、やはり今日は実家に戻るという妻に若干の違和感を覚えながら、十分悩んで疲れた妻を思いやって、了解した。ところが、義母から帰らなくてよいといわれたらしい。結局連休は2人で過ごすことになった。

 

それから、妊娠が発覚したことで、入籍を早めることになった。婚約は済んでいるし、両家の反対もない為、滞りなく婚姻届を提出した。私はめでたく夫となり、妻はめでたく妻となった。

前史〜妻国との国交樹立(出逢い)まで〜

妻と出逢うまで、私には結婚願望がなかった。妻の前に付き合っていた女性とは長く、私の家に半ば押しかけてくる形で半同棲もしたが、暮らせば暮らすほど、結婚は考えられなくなっていた。相手にも悪いのでお別れを伝え、独り身になって、かねてから独りになったらやってみたかったことをやることにした。

 

婚活パーティである。

 

結婚願望がないのに最低、と思われても仕方ない。だれかと、どうにかなりたいとも思っていなかった。ただ、最近流行りの婚活パーティ、ネタとして行っておこう、ぐらいの気持ちであった。真剣に参加しておられる方に失礼千万であることは承知。批判は甘んじて受けよう。

 

ところが、そこで出逢ったのが妻である。

 

他の参加者とは明らかに違っていた。美しかった。可愛かった。話し方も好きだった。職業も安定していた。なにより性格の一致が奇跡的だった。

 

あとついでに乳がでかかった。

 

妻は他の参加者とは明らかに異彩を放っていたので、指名の倍率が跳ね上がることは目に見えていたが、先述したようにだれかとどうにかなることを期待していたわけではなかったので、置きにいかずに妻一点張りで進軍。すると妻も私を指名してくれていたのであった。

その後一緒にカフェに行き、コーヒー1杯で語り合い続けた。思った通り妻は全員から指名されていたらしい。それでも自分を選んでくれた。その時にはもう、遊びではなくなっていた。あまりにもうまく行きすぎていた為、ツボを売られると思っていた。

 

その後、ディナー、1日デートと重ね、一週間のうちに付き合うことになった。とにかく話が尽きなかった。文字通り語り明かした夜もあった。

 

2週間目には妻が自宅に招いてくれた。

それからというもの、少々下品だが、日々やりまくった。

 

出会いが婚活パーティであったこともあって、すぐに結婚の話になった。

 

トントン拍子、とはこのことか、と実感した。もちろん課題もあった。

ひとつは、お互いの性格が一致しすぎて、欠点まで同じであること。二人とも大雑把で、部屋の片付けが苦手。これは2人でちゃんと律しあいましょうということになった。

ふたつは、お金。私は結婚願望がなかったし、実は妻も結婚を期待してパーティにきていたわけではなかったらしい。両者先立つものがなかった。そこで、ちゃんと計画を立てて貯めましょう、ということになった。

 

出逢って1ヶ月も立たないうちに、気づけば式場が決まっていた。貯金計画も動き出していた。とても幸せだった。こんな幸せを感じることは自分には無理だと思っていた。

はじめに

ー愛は平和ではない 愛は戦いである 武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで それは地上における もっとも激しい 厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いであるージャワハルラール・ネルー

 

私は、先月夫となり、父親となることが決まった、新米夫である。妻は現在これ以上なくひどいつわりと日々戦っている。

 

つわりは大変である。聞いてはいたが想定をはるかに超える。しかも、どうやら妻のつわりは最悪の部類のようだ。妻の表現を借りれば「糸一本で繋がって、瀬戸際で踏ん張っている状態」だそうだ。つわりが始まってから、別人のようになってしまった。それほどつらいことのようだ。

 

妊娠が発覚し、つわりが始まってからというもの、ネットや書籍で情報を探り続けた。つわりの辛さ、永遠に続くかのような体調不良、変わっていく自分、将来への不安、夫への嫌悪感、妻が直面している問題について。そして、その時夫はなにをすべきか。炊事、洗濯、部屋の片付け、お茶出し、買い物、料理、来る日も来る日も調べ続け、実践し続けた。

そして思った。

 

つらい。とてもつらい。

 

家事をすることがつらいのではない。どれだけサポートしても、妻の体調はおろか機嫌も露ほども治らず、話しかけてもうわのそらか、ガラの悪い返事、近づいても嫌がられ、離れても嫌がられ、妻が頼るのは私ではなく義母。のれんに腕押し。豆腐にかすがい。私は必要とされているのか。家に、自分の居場所がなくなってゆく。

 

その中で、あることに気がついた。

つわりで苦しむ妻を励ます言葉は山ほどあれど、それを支える夫をねぎらう言葉の少なさよ。

 

たしかに、どれだけ夫が苦しもうが、妻の苦しみには敵わないのかもしれない。つわりの苦しみを経験できないくせに、といわれても仕方ない。

 

けれど、それを支える夫の苦しみも、妻は経験できないではないか。不機嫌な妻から耐えざる仕打ちを受けても、妻はつわりで大変だから、体調が悪いから、と納得しなければならないつらさ。

 

しかし、友人のある言葉で決心した。

 

「結婚生活最初の試練、穏便におさめてみせよ。」

 

試練。愛は戦いである。自分を捨てて激しく戦わねばならぬ。

 

暗雲立ち込めるこの戦い。勝敗は未だ見えず。しかし、この戦いの記録は、必ずや、後に続く新兵(新米夫)たちの指針になるだろうと固く信じている。

 

たとえ私が散っても、私の屍を越えてゆく新兵たちが誇りと自信を胸に抱けんことを祈って。

 

なお、このような性質の記事がゆえに、女性側は不快に感じる可能性があることを留意しておく。コメント等は自由にして頂いて構わない。また、戦時ゆえ、レスが恣意的になることもご理解頂きたい。