はじめに

ー愛は平和ではない 愛は戦いである 武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで それは地上における もっとも激しい 厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いであるージャワハルラール・ネルー

 

私は、先月夫となり、父親となることが決まった、新米夫である。妻は現在これ以上なくひどいつわりと日々戦っている。

 

つわりは大変である。聞いてはいたが想定をはるかに超える。しかも、どうやら妻のつわりは最悪の部類のようだ。妻の表現を借りれば「糸一本で繋がって、瀬戸際で踏ん張っている状態」だそうだ。つわりが始まってから、別人のようになってしまった。それほどつらいことのようだ。

 

妊娠が発覚し、つわりが始まってからというもの、ネットや書籍で情報を探り続けた。つわりの辛さ、永遠に続くかのような体調不良、変わっていく自分、将来への不安、夫への嫌悪感、妻が直面している問題について。そして、その時夫はなにをすべきか。炊事、洗濯、部屋の片付け、お茶出し、買い物、料理、来る日も来る日も調べ続け、実践し続けた。

そして思った。

 

つらい。とてもつらい。

 

家事をすることがつらいのではない。どれだけサポートしても、妻の体調はおろか機嫌も露ほども治らず、話しかけてもうわのそらか、ガラの悪い返事、近づいても嫌がられ、離れても嫌がられ、妻が頼るのは私ではなく義母。のれんに腕押し。豆腐にかすがい。私は必要とされているのか。家に、自分の居場所がなくなってゆく。

 

その中で、あることに気がついた。

つわりで苦しむ妻を励ます言葉は山ほどあれど、それを支える夫をねぎらう言葉の少なさよ。

 

たしかに、どれだけ夫が苦しもうが、妻の苦しみには敵わないのかもしれない。つわりの苦しみを経験できないくせに、といわれても仕方ない。

 

けれど、それを支える夫の苦しみも、妻は経験できないではないか。不機嫌な妻から耐えざる仕打ちを受けても、妻はつわりで大変だから、体調が悪いから、と納得しなければならないつらさ。

 

しかし、友人のある言葉で決心した。

 

「結婚生活最初の試練、穏便におさめてみせよ。」

 

試練。愛は戦いである。自分を捨てて激しく戦わねばならぬ。

 

暗雲立ち込めるこの戦い。勝敗は未だ見えず。しかし、この戦いの記録は、必ずや、後に続く新兵(新米夫)たちの指針になるだろうと固く信じている。

 

たとえ私が散っても、私の屍を越えてゆく新兵たちが誇りと自信を胸に抱けんことを祈って。

 

なお、このような性質の記事がゆえに、女性側は不快に感じる可能性があることを留意しておく。コメント等は自由にして頂いて構わない。また、戦時ゆえ、レスが恣意的になることもご理解頂きたい。